気象予報士セーラーが解説/辛坊さんの太平洋横断|復路編

2021.07.07

日本時間の6月17日にサンディエゴに到着し、一人乗りでの太平洋横断を達成した辛坊治郎さん。69日間の航海を終え、達成感もひとしおといったところだったろう。

しかしなんと、それから1週間もたたない6月22日には、今度は日本に針路を向けて、再び太平洋横断航海へと乗り出した。

古野電気の特設サイトには、往路に続いて、辛坊さんの乗る〈カオリンV〉(ハルベルグ・ラッシー39)の現在位置情報が公開されている。現在までの航跡を見ると、単純に往路のコースをなぞるのではなく、ずいぶん南寄りのコースを選択していることがわかる。

これは太平洋の気象パターンを考えてのものだと思われるが、そのあたりも含めて、復路の航海について、主に気象という観点から解説してもらうことにした。往路編に続いて解説してくれるのは、自身もヨットを楽しむセーラーであり、ロサンゼルスからハワイに向かうヨットレース「トランスパック」に2度ナビゲーターとして参加した経験を持つ気象予報士、田口裕介氏だ。

 

2021年7月6日18:58(日本時間)現在の辛坊さんの位置

 


■太平洋を西に進む

サンディエゴを出航し、日本を目指している辛坊さん。7月6日(日本時間)現在、米国本土とハワイの中間点をやや越えたあたりに位置している。日本に向かうにしては南寄りの進路だが、ヨットで太平洋を西向きに渡る際には、これがセオリー。東から西に向かって吹く「貿易風」が、船を西に進めてくれるからだ。

貿易風帯は、セーラーに至福のセーリングをもたらしてくれる。筆者は、辛坊さんがこれまでに走ってきたコース近くを走るヨットレース「トランスパック」(ロサンゼルス~ハワイ)に、2013年と2015年の2度出場した。

例年、同レースのスタートは7月10日過ぎ(ちなみに今年も間もなくレースがスタートする)。辛坊さんのサンディエゴ出航より2週間ほど後だが、それでも北米沿岸は海流の影響もあって寒い。そのため、スタートしてから数日間は、日本だと冬場に着用するようなウエアでしのぐ必要があった。それでも辛坊さん同様、貿易風を求めて南下するにつれて暖かくなり、徐々に薄着に。やがて、Tシャツに短パンで終日過ごせるようになった。

 

①7月にロサンゼルスからハワイに向かうというと、かなり暖かいイメージがあるが、スタートから数日間はこんな感じ。真冬並みの完全防備だ(筆者がトランスパックで乗船した〈クレセントIII〉チームの船上。以下2点同じ)
photo by Yusuke Taguchi

 

②船が南に進むにつれ、少しずつ装備が軽装になっていく
photo by Yusuke Taguchi

 

③貿易風帯に入り、安定した追い風のなかを走れるようになるころには、着ているものを脱ぎ捨て、南国らしいセーリングが楽しめるようになる
photo by Yusuke Taguchi

 

さて、風向に対するヨットの帆走状態は、横風よりも風上に向かうアップウインドと、横風よりも風下に向かうダウンウインドに大別される。スピネーカーと呼ばれる大きなセールを揚げて、追い風の中を走ることができるダウンウインドでは、アップウインドよりはるかに速いスピードで走ることが可能だ。

貿易風帯に入ると、太平洋高気圧を取り巻く風も加わり、安定した東風がもたらされる。西に向かう我々にとってのダウンウインドのなか、スピネーカーを揚げてカッ飛び続けた。また、恒常的に吹いている貿易風は、うねりを大きく成長させる。大きなうねりの斜面を下りるときには、さらに加速して豪快なサーフィング。それがずっと続く、まさに至福の日々だった。

そしてダウンウインドは、快適な船上生活ももたらしてくれる。

アップウインドでは、ヨットは常に風下側に大きく傾いて走る状態。さらに、前から寄せる波に上っては下りるため、常に船首が上下動を繰り返す状態で、乗り心地はよくない。傾き、そして大きく揺れている船内では、常にどこかにつかまっている必要がある。着替えだって、体重のほとんどを片手で支えながらという状態で、ひと汗かくほどの重労働。カップ麺を作るときには、こぼれないようにお湯は控えめにせざるを得ず、スープは塩辛い。暑いときでも、飛沫(しぶき)が船内に入ってきてしまうので、窓(ハッチ)を開けることはできない。

対してダウンウインドは、船の傾きもわずかだし、波と同じ方向に進むため、船首の上下動も少ない。アップウインドに比べると、ずっと乗り心地がいいのだ。船内にいるときも、安全のために手を添える程度で、体重を支えるようなシーンはまれ。着替えも容易だし、多少手の込んだ調理も可能、コーヒーをゆっくり味わうこともできる。暑ければ、風下側のハッチなら開けておいても問題ない。

そんな、ヨットにとって最高に気持ちがいい条件がそろったコースを走っている辛坊さん。往路早々の修行のようなセーリングとは異なり、きっと幸せな時間をお過ごしになっているに違いない。今回は、セーラーに幸せをもたらす、そんな貿易風と太平洋高気圧について説明しよう。 

 

■貿易風と太平洋高気圧

赤道を中心に、南緯30度~北緯30度くらいの間で、恒常的に吹いている東寄りの風──それが貿易風だ。貿易風の助けがあったからこそ、南太平洋地域の島々へ人間の居住区が広がったり、大航海時代には冒険家がアメリカ大陸を発見したり、そして貿易にも活況をもたらした。

貿易風は、太陽光が赤道付近を集中的に熱することで生じる、三次元の空気の循環によって吹く風だ。赤道の存在による現象のため、常に風が吹いている状態となる。この地域の年間平均風速は15ノット(約8m/s)ほど。他の要因が重なるため一定ではないが、恒常的に東寄りの風が生じている。

夏場の北太平洋では、もう一つ顕著な気象現象がある。それが「太平洋高気圧」だ。太陽は同じように降り注ぐが、比熱(温まりやすさ)の違いがあるため、陸地では海上より強い上昇気流が発生。それにはばまれ、上空の空気は陸地へは下降しにくく、広大な太平洋に集中して下降する。それが太平洋高気圧だ。陸地と海上の温度差が夏場に顕著になるために、太平洋高気圧は夏場に強まり、存在感を強める。

夏場の米国/日本間の貿易風帯では、太平洋高気圧を取り巻く風が加わり、20ノット(約11m/s)からそれ以上の強い東寄りの風が吹いている。米国から日本に向かうヨットは、この領域を走りたいところだ。

 

■最適コース

しかし、サンディエゴから最終目的地である大阪への最短距離となるコース(大圏コース)は、太平洋中央部で北緯40度(岩手県盛岡市付近の緯度)を通る弧を描く、約5,200海里(約9,630km)。貿易風帯を狙って北緯30度以南、例えばハワイ・オアフ島のある北緯21度ほどまで南下した場合は約6,000海里と、15%ほど走る距離が延びてしまう。ただし、南下することで平均速度が15%以上増加するのであれば、遠回りしても早く到着することになるので、どちらのコースが得かは悩ましいところだ。

また、いつまでも貿易風帯にとどまっていては、日本列島の南を通過してしまう。どこかで北に向けて進路を変える必要がある。

日本は太平洋高気圧の西端に位置しており、日本に近づくにつれ、取りまく風は南向きに方向を変える。基本的にはそれに合わせて北上するのがセオリーだ。しかし、日本に近づくと、今度は移動性の高気圧や低気圧の影響が強く出てくる。予報をよく見てコースを決めることが必要だ。

往路における辛坊さんの到着を予想する記事で紹介した、最適コース算出ソフト「Predict Wind」のウェザールーティング機能を使って、現在位置から小笠原諸島の父島への最適コースのシミュレーションを行ってみた。下の画面は、6種の気象モデルによる予報それぞれをベースにした最適コースを示したものだ。

 

辛坊さんの公式Youtubeチャンネル「辛坊の旅」を見ると、毎日の船上と陸上との定期交信の際に、陸上サポートスタッフの鍋谷直輝さんは「Windyによると・・・」と前置きしてから情報を伝えている。Windyは、全世界の波や風、気温といった気象情報を予測してビジュアルに表示するウェブサイトだが、デフォルト表示になっているのはECMWFのモデルによる予報だ。PredictWindでは、ECMWFをベースに予測した最適コースは、黒線で示されている。

今回は、Predict Windにおけるのいずれの気象モデルによる結果も、黄色い円弧の大圏コースを基本にしつつ、南寄りに貿易風帯に留まるコースがはじき出された。

ただし、これはあくまで「気象予報がバッチリ当たった」場合のハナシ。基本的には貿易風帯のほうが気象条件は安定しているので、多少大圏コースから離れても南側にコースを取ったほうが、無風に見舞われるリスクは少ないかもしれない。

 

■この先の気象

太平洋高気圧というのは、強くて安定した高気圧だ。この高気圧の勢力下にいる限り、極端な気象現象に翻弄される可能性は低いと言える。

とはいえ、太平洋高気圧の中心部に向かうのは避けるべきだ。中心部は等圧線の間隔が広く──すなわち風が弱いのだ。太平洋高気圧の中心から適度に離れた、等圧線の間隔の狭いエリアをキープすることで、効率よく西に向かうことができる。

 

7月6日3時(日本時間)の天気図。左端に日本、右端に北米大陸がある。そのど真ん中に鎮座するのが太平洋高気圧だ。オレンジの矢印で、太平洋高気圧を取り巻く風を示した。下側に加筆した青の矢印が貿易風。中央付近では両者が重なり、より強い風が吹いている。太平洋高気圧を取り巻く風の西端は、その向きを南から北へ変え、南下した艇を都合よく日本へ運んでくれる。

 

また、貿易風帯で出会う可能性が高い極端な気象現象として「スコール」が挙げられる。これは、発達した雲に伴って急に強くなる強風で、多くは強い雨、時に雷も伴う。ただ、スコールは目視できるので、それを避けるコースを取ったり、あらかじめセールを小さくするなど、事前に対応することが可能だ。

筆者もスコールに追いつかれ、予想以上の強い風に艇をコントロールできなくなり、乗員全員で慌ててスピネーカーを降ろしたことがある。しかし、スコールの後ろには無風帯が待っており、10分も土砂降りの雨に打たれていると、突然ピーカンの無風になり、あまりの落差に驚いたものだ。

 

トランスパックの際のひとコマ。筆者の乗るヨットを追いかけるかのように、後方からスコールを伴った雲が近づいてくる。写真中央の雲の下に、激しい雨が降っている様子がお分かりいただけるだろうか
photo by Yusuke Taguchi

辛坊さんが日本に近づくのは、8月になろうか。そう、台風シーズンの始まりだ。

今年の台風の発生は、これまでで5個と平年並み。特に大量発生する気配は、今のところ見られない。しかし、ヨットにとっては、発生数が多いか少ないかは大きな問題ではない。自分が出会うかどうかが全てだ。

なんとか台風の影響を受けることなく日本へ無事フィニッシュし、「タッチ&ゴーによる太平洋往復航海」を達成されることをお祈りするばかりだ。 

 

(文=田口裕介)

 


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