太平洋を渡った侍の記憶|後編

2022.05.15

慶長18年(1613年) 10月、仙台藩牡鹿半島・月浦を出帆した〈サン・ファン・バウティスタ(Sant Juan Bautista)〉号。

仙台藩が建造した西洋帆船である。1993年に見事に復元された、〈サン・ファン・バウティスタ〉号は、宮城県石巻市のサン・ファン館に公開展示されていたが、昨年10月、老朽化によってその役目を終え、解体がはじまった・・・。 

その解体直前、帆船乗りの山本 海さん(スピリット・オブ・セイラーズ)が〈サン・ファン・バウティスタ〉号を訪れた。 ありし日の〈サン・ファン・バウティスタ〉号復元船を見るとともに、当時、この西洋帆船で世界を渡った侍、支倉常長たちの命をかけた冒険を山本 海さんにレポートしていただいた。Kazi5月号に掲載された内容を、再編集した後編です。前編はこちらからどうぞ。(編集部) 


 

慶長遣欧使節団の航跡と 託された壮大な密命

この航海の目的は幕府より許可を得て、スペイン領であるメキシコへ渡り、交易を開始するためであるはずだった。そのため幕府の御座船〈安宅船〉を建造した向井将監の配下幕府の役人も〈サン・ファン・バウティスタ〉号には乗船している。 

しかしメキシコへたどり着いた支倉らは、帰国する〈サン・ファン・バウティスタ〉号には乗船せず、陸路東へ向かい、スペイン艦隊に便乗して大西洋を渡る。スペイン王フェリペ3世に会いスペイン王国、そしてローマ教皇に伊達政宗から預かった書状を届けるためであった。 

日本側の資料はほとんど残されていないが、近年バチカンに所蔵されていた資料から、伊達政宗は奥州王として、ローマ教皇からの協力を得て、キリシタンの保護と日本をキリシタンの国にすることを条件に仙台藩との直接の交易を取り付けようとしていた証拠が発見されている。これは徳川幕府を倒し、伊達政宗が天下を取ろうとしていた最後のチャレンジかもしれず、その壮大な密命を負って支倉は〈サン・ファン・バウティスタ〉号で太平洋を渡る航海に出たのだ。 

支倉一行は2年をかけてローマにたどり着きローマ教皇との謁見を果たし、伊達政宗から預かった書状を届けることができたが、ローマからの返事はよくないものであった。交渉がうまくいかなかった支倉をさらなる悲劇が襲う。日本を出発して7年、無事に日本へ帰国した支倉であったが時代は徳川幕府の体制が整い、キリシタンの禁教令は強化され、国内でのキリシタン、およびスペインの影響はオランダに取って代わられ、伊達政宗の思い描いていた計画は、実現不可能になっていたのだ。 

そのため太平洋・大西洋を横断してスペイン国王に謁見し、ローマ教皇からローマ市民権を与えられる栄誉にまであずかるという大任を果たしたはずの支倉は帰国後冷遇され、資料などもほとんどが隠蔽されてしまったのだった。 

 

 

慶長遣欧使節〈サン・ファン・バウティスタ〉号の航路図 (写真提供=サンファン館)

 

 

現代に蘇るガレオン船

〈サン・ファン・バウティスタ〉号の復元が発表されたのは1990年。約500トンの木造船を原寸大で、それも日本の造船所で復元するという計画は建造費15億円、うち半分の7億5千万円が企業や個人からの寄付で賄われ、当時の日本の勢いを感じる。現地取材や集められた資料をもとに、設計は帆船〈日本丸〉を設計した宝田直之助氏が担当した。 

果たして日本で巨大なガレオン船を復元することは可能なのだろうかと手探りのまま、関係者はこの壮大なプロジェクトに全力で挑んだことが資料からうかがえる。 

 

最初に当たった壁が船大工の確保だった。もともと木造での造船が盛んだった東北地方でも、時代とともに需要が減り、既に船大工の技術を受け継ぐ職人はわずかになっていた。しかも建造するのは古文書しか残っていない日本で造られたガレオン船だ。復元にあたり「似て非なるものを復元の名の下に造ってはならない」として、 

・木造船とする

・原則として原寸とする

・石巻地方の造船所で建造する

・宮城県内の船大工を中心に建造する

という四つの掟とも言える基本方針が定められた。

誰もガレオン船を造ったことはない。まずはスペイン、オランダ、イタリアに出向き、ガレオン船に関する資料集め、専門家による指導を受けることから始まる。使用する木材もデッキを支える曲材(knee)には丈夫なケヤキ材を山から選定し、一枚から切り出して作る。ケヤキ材の曲がり材は30本必要だった。肋骨(フレーム)50本、外板、デッキに使用される松4,000本、杉1,300本は、宮城県と岩手県からそろえられた。 

木造帆船の外板は直線がなく、複雑な曲面で構成されている。特に16世紀、17世紀に使用されたガレオン船の船体はチューリップ型の断面をしており、船型は美しくも複雑だ、この造形を生み出すには長さ10mの蒸し釜を造船所内に作り、外板となる板木に蒸し釜で熱を加え曲線に合わせて外板をフレーム(肋骨材)に張っていった。バウスプリット、マスト、キールなどは日本で入手できる木材では長さが足りず、ベイマツ(米松)を輸入して、それを削り出す専用の大型旋盤を製作して作られた。 

当時83歳の船大工の棟梁である村上氏を筆頭に、1万8,150 人の職人が建造に携わった。 ビスカイノから指導を受け、多くの船大工と仙台藩の総力を挙げて製作された〈サン・ファン・バウティスタ〉号建造当時と同じようなプロセスが現代でも行われたのだ。 

1992年4月起工、1993年5月に船体の進水を迎える。1990年12月のプロジェクトの発表から3年をかけて〈サン・ファン・バウティスタ〉号は水に浮いたのだ。 

 

 

画像提供=サンファン館

●全長:55.35m ●船体長:47.10m ●竜骨長:26.06m ●全幅:11.25m ●喫水:3.80m ●全高:48.80m ●メインマスト高さ:32.43m

 

 

デッキから突き抜けるキャプスタン。船内でも錨などに使用するホーサー(大索)を船内に取り込むことができた 

 

 

「膝」の名前を持つ部材“Knee(ニー)”。ビームとフレームを結合させ強度が必要な部分。国産ケヤキの曲材を30本探し出し、使用している 

 

 

1992年4月17日、〈サン・ファン・バウティスタ〉号復元船の起工式の様子。復元計画は1990年から提言され、その復元船建造費は15億円に上った (写真提供=サンファン館)

 

 

1992年3月26日、中央部肋骨立揃の作業。タンブルホームの美しいハルラインが組まれた (写真提供=サンファン館)  

 

 

1993年5月22日、ついに進水式を迎えた。住宅80棟分に相当する2,000㎥の木材が使用された巨体が海に浮く (写真提供=サンファン館)  

 

 

マストなどの艤装を整え、曳航される〈サン・ファン・バウティスタ〉号復元船。まるでタイムスリップしたような感覚に包まれる (写真提供=サンファン館)  

 

 

蘇った帆船とその解体

残念なことに〈サン・ファン・バウティスタ〉号は船体の老朽化、東日本大震災の津波を乗り越えた時のダメージが激しく、修復が不可能と判断され2021年度までをめどに解体が決まっている。 

保存を強く望む声も上がってはいるが、「大きな船体と重量を支えるだけの強度はすでに失われてしまっている」と長年保守管理に努めてきた船舶作業員の方は語る。 

正直、この圧倒されるほどの大きさの帆船を前に解体と聞くと、なんとかならないものか、と悔しさが胸を締め付ける。しかし、傾いた船体と大きく亀裂の入る船首部分はキールとフレームの損傷を物語っており、船を保存するのは難しいことが見て取れる。 

木造復元船は姿を消しても、慶長使節と〈サン・ファン・バウティスタ〉号が行った偉業が消えることはない。使節ゆかりの多くの国で支倉常長の銅像が立ち、外国との交流のきっかけとして、私たちに海の向こうへ目を向けさせてくれている。 

かつて日本の侍が命をかけて太平洋を渡ったこの素晴らしいガレオン船が、日本人の手によって復元され、多くの人に勇姿を見せることができたことを、帆船に関わるものの一人として現場に立ち、記憶することができたことに感謝する。 


 

わずか45日でガレオン船は建造できるのか

当時の〈サン・ファン・バウティスタ〉号の建造は「貞山公治家記録」などをもとに書かれた歴史書「東藩史稿」には「十八年公幕府ニ請ヒ、其船匠十名ヲ仮リ、仙台領牡鹿郡、月ノ浦ニテ船ヲ造ラシム、工匠八百人、鍛治六百人、雑役夫三千人公モ臨監シテ、四五日間ニテ成レリ」とある。45日で完成とあるが、通常ガレオン船の建造には3年〜4年、数年を要する。この謎について、サン・ファン館の担当者にお話をうかがった。 

「45日建造説の根拠としては以下のものがあります。一つが、リサイクル説。慶長使節出帆の1年前、江戸幕府は同型の〈サン・セバスティアン〉号を建造しますが、出航後すぐ沈没。そこで、廃船となった同船を宮城まで運びそれをベースに建造した、というものです。 

次に、本隊到着からの日数説。〈サン・ファン・バウティスタ〉号の建造は、慶長使節の航海士も務めたスペイン人セバスチャン・ビスカイノとその部下が中心となって指揮しました。建造はそれより前から行われていたが、ビスカイノ本隊が到着してからの期間が45日だった、というものです」 

慶長大津波の2週間後に建造計画がスタートとのことで、これから推測すると建造にかかった期間は長くても1年10カ月。やはり、恐るべき速さといえる。 

 

 

復元船建造の様子。こちらは現代の技術を駆使し、1年半で完成した(写真提供=サンファン館) 


 

 サン・ファン館の歩き方

宮城県慶長使節船ミュージアムであるサン・ファン館の注目施設を紹介。復元船展示はなくなったが、多くの展示物が〈サン・ファン・バウティスタ〉号の航跡を伝える 

 

石巻市サン・ファン・バウティスタパーク

中央にサン・ファン広場を有する公園。支倉常長が見たイタリアの風景をイメージしている 

 

サン・ファンシアター

高精細なVRによる船内の体験や、ガレオン船が実際に帆走するシーンが登場する映像が上映されている 

 

サン・ファンショップ

オリジナルグッズが満載。帆船好きにはたまらないラインアップです 

 

人気のTシャツ2, 200円と、がま口財布700円


 

堂々たる〈サン・ファン・バウティスタ〉号の船首。ボリュームに圧倒される

 

 

船首からの風景。支倉常長も船首に立ち、遥かヨーロッパを目指したに違いない 

 

 

夕日を望むメインマストとフォアマスト。もうこの光景を見ることはできない・・・ 

 

 

 

過去のイベントでイルミネーションが施された〈サン・ファン・バウティスタ〉号復元船。侍たちが挑んだ異国への冒険魂は、今も私たちの心に残り続ける 

 

(文・写真=山本 海/スピリット・オブ・セイラーズ 写真提供=サンファン館)

月刊『Kazi』2022年5月号に掲載された記事を再編纂し公開。バックナンバーおよび電子版をぜひ 

 

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〈サン・ファン・バウティスタ〉号の記事を書いたのはこの人!

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山本 海さん

2002年、〈海星〉で帆船キャリアスタート。2006年~2009年にかけてヨーロッパ、東南アジア、オセアニア地域で帆船5隻にクルーとして乗船。帰国後、タンカー勤務(航海士)を経て、2013年〈みらいへ〉へ。後、2015年、スピリット・オブ・セイラーズ設立。ISPA公認インストラクター。名古屋と小豆島を中心にセーリングカッターでも活動中 。顔ハメ看板で支倉さんになりきってみる

 

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