五輪撮影を支えた最強のメディアボートチーム

2021.10.26

東京2020セーリング競技を取材するメディアボートのドライバー。そのチームリーダーを、舵社・写真部の山岸重彦が務めた。山岸が本業のカメラを置き、2年にわたり準備をし挑んだ運営業務。彼が語った、五輪を支えた猛者たちの物語を紹介する。競技会場である神奈川県・江の島ヨットハーバーで繰り広げられた激アツの日々・・・。『Kazi』誌11月号に掲載された記事をここに公開します。
(タイトル写真=東京五輪を撮影するメディアボートの艇上)

 


ドライバーに求められる資質 

普段ヨットレースを取材している舵社なら、メディアボート・ドライバーの仕事は最適だろう。たぶんそんな考えで、JSAF(日本セーリング連盟)副会長であり、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の中澤信夫さんから弊社に声がかかったのだと想像する。実際は、撮影用のカメラボートを「利用」するのが私たちであり、「運航」はやったことがない。しかし、カメラマンたちがどうして欲しいか、その気持ちは一番分かるはずで、この業務を受けたのが2019年9月。写真部に所属する私が、リーダーとなった。カメラマンとしては撮影することが本望であるが、オリンピックに関わることができるならなんでもしたい、という思いが強くあったからだ。

 

まずは、メディアボート・ドライバー集めを開始。マリン業界に顔が広い弊社である。この人脈をフル活用しよう。今回のドライバーに求められる資質は主に3点ある。

①ヨット競技に精通する知識

②24ft、200馬力超のリジットインフレータブルボートのドライブ技術

③海外から来たメディアと会話できる英語力

ヨット競技に精通している人材を優先し、セーリング界からメンバーを選んだ。とはいえ、上記3点の技量も明確に点数分けできるものではなく、またそれぞれが持つ能力は事前に把握しづらい部分があったが、トップセーラーは海外遠征も多く経験しており、同時に語学の問題もクリアできた。 

 

撮影ポジションを学ぶ

組織委員会からの要望、メディアボートの運航は1日あたり27艇とのこと。競技は最大で12日、開会式や公式練習日を合わせると、ドライバーが稼働するのは16日間。27人のドライバーが全日程出席できるはずもなく、出退勤の調整も含めた作業がはじまる。特に陸上スタッフも激務で、メルジェス20のオーナーでもある松本浩司さんは、全期間を通してすばらしき相棒として大活躍してくれた。

メディアボートで重要なのは、フォトグラファーとのマッチング。各国のフォトグラファーたちは、セーリングに対する知識がバラバラだ。今回はバルクヘッドマガジンの平井淳一編集長に講師となってもらい、フォトグラファーが望むそれぞれの場所でのベストポジション、その場所が混雑した場合の次の場所、さらに撮影NGポジションなどを具体的に伝授してもらった。セールが展開するサイドと選手の乗艇位置関係の理解が、よりよい撮影をするうえで重要になってくることは間違いない。極論をいえば、フレーミング(画角)はドライバーが決めている、といってもいいくらいだ。  

昔、舵社の大先輩カメラマンである矢部洋一さんに聞いたことがある。ヨットレースの撮影において何が一番重要ですか、と。その答えは、「メディアボートのドライバーと仲良くなること」だった。自分の思うところにボートを持って行ってもらうことが最重要であり、それをするためにドライバーと仲良くなることが第一ステップだと。自分の意思通りにポジションを取ることができれば、おのずといい撮影ができる。  

とても心に残ったアドバイスだった。もし、言われなくてもいいポジションに行くことができるドライバーがいたら、カメラマンとしてこんなにありがたい話はない。ましてや、自分の知識を上回るセーリング技術を持った人がドライバーにいて、その人の案内で撮影できるなら、仕事のはかどりは計り知れない。 

 

 

photo by Yoichi Yabe

フィニッシュ後のレーザーラジアル級。レース艇、運営ボートがひしめく中、メディアボートも果敢に選手を狙う。ヨットの挙動を熟知したドライバーたちが、見事な操船を見せた 

 

 

スタート前の女子470級。レースのスタートシークエンスに沿って、時間ごとにポジションを変えていく 

 

 

陸上メンバー。左から松本浩司さん、鄭 愛梨さん、山岸、荻野沙智さん。トラブルの起こらない日はなく、連日の激務をこなした 

 

 

江の島ヨットハーバーのクルーザーバースは運営艇置き場に。メディアボートは置き場がなく、臨時置き場である逗子マリーナから毎日運び、各チームのチェイスボート、マークボート、本部艇などが出艇し開いたスペースに置いていく。連携を取りながら行うパズルのようなこの作業に毎朝頭を痛めた

 

 

レースが進み、各国のサポートボートが減ったことで、レース終盤から使用可能になったスロープ前桟橋。逗子からのキャリーアップが少し減った 

 

 

即時性が求められる現代のメディア事情。メディアボートの上から画像データを配信する各国メディア 

 

 

OBS(オリンピック・ブロードキャスティングサービス)のメインボート〈カンブリア〉。第34回アメリカズカップで使用されたカタマラン、AC45Fのハルをリファイン。ACのカメラボートとしても使用されている最速最強のメディアボート。引き波がほぼないのもすばらしい 

 

 

ボートにはクーラーボックスを設置し、つねに氷と水を常備。暑いので氷を頭に乗せて運ぶ舩澤泰隆さん。この運搬方法がなぜか流行した(笑) 

 

 

陸上スタッフの女神のひとり、鄭 愛梨(チョン・エリ)さん。予告なく変更されるレースと乗艇プレス陣の采配を美しくこなした 

 

 

ムードメーカーの伊藝徳雄さん。このとき何かを伝達したかったようだが、内容は不明(笑) 

 

 

舵社の植村浩志社長も運営に参加。洲鼻通りの知人宅を拠点に連日自転車通勤し、奮闘した 


 
レース運営とのささやかな衝突

メディアボート・ドライバーが職業だ、という人はいない。今回集まったドライバーたちの本職は多岐にわたり、そしてさまざまなセーリング経歴があった。自分自身がオリンピックに出場している、オリンピアンを指導していた、アメリカズカップに出場したことがある・・・といったセーラーから、セーリング・インストラクターをしている、元ヤマハのテストドライバー、プロセーラーなどなど、国内最高峰の人材がメディアボート・ドライバーについてくれた。  

みなさんのセーリング技量が高いことで、今回、レベルの高いメディアボートの運航ができたと自負している。ただ、レース運営側との認識の違いが多少あり、運営側からのクレームが連日のように入ったのも事実。おもに、メディアボートの位置取りに関する部分だ。  

コースエンドやレイラインについては明確な線があるわけではなく、風域や艇種によってまったくラインが変わってしまうヨットレースにおいては、意見が分かれることは仕方がない。この位置に絶対にヨットは来られない、いや、来る可能性がある。より近い場所で撮影したいのがカメラマンであり、その要望をできるだけ聞くのが上級のドライバーだと思う。  

意見の相違が難しい問題であることは、私も認識している。特に一流のセーラーがメディアボートをドライブしていた場合、影響のない範囲のギリギリを攻めてしまうことはままある。これが、あらぬ議論を生んでしまった要因のひとつだと思う。 

 

カメラマンからもらった ファンタスティック! の賞賛

毎日の終礼で、レース運営から意見があったということは、ドライバーたちに正確に伝えた。しかしその反面、各国のカメラマンたちから褒められることは、異常といえるほど多かった。本職がカメラマンである自分自身の経験では、ドライバーに満足することは少なく、こちらの意図より上回った操船をしてもらったことはあまりない。それを上回ったからこそ、帰ってきたカメラマンから「ファンタスティック!」と、絶賛のコメントが出たのだと思う。  

長年、セーリングを専門に撮影してきた添畑 薫さんから、ありがたい言葉をいただいた。ある日、メディアセンターに呼びつけられ、やばい、ドライバーチームにおしかりを受けるのかと身構えた(実際大先輩なので、常におびえている存在ではある)。しかし、内容は真逆で、「こんなドライバーチームは、長年セーリング競技を撮影してきて一番だ。よくぞこんなにすごい人材を集め、まとめてくれた!」と絶賛の言葉をいただいた。緊張が緩和すると同時に、いいようのないうれしさに包まれた。  

さらに、すべてのレースが終わる最終日、組織委員会のベニュー・フォトマネジャー、スサンヌ・ホエックから、「カメラマンたちの気持ちを全員に伝えたい、感謝の言葉を送りたいから、メディアボート・ドライバーを集めてくれ」と言われた。半信半疑のまま、普段行くことの少ないメディアセンターへぞろぞろと歩いて行った。そこには、連日撮影に来ていたワールドセーリングのペドロ・マルチネスやカスース・レネドがいて、全員の集合写真を撮影するとともに、お礼の言葉をいただいた。  

スサンヌは自分の運営スタッフポロシャツに、メディアボート・ドライバー全員のサインをもらいたいと言い出し、長い時間をかけてみんなでていねいに、しっかりとサインをさせてもらった。 

 

 

メディアボートのポジショニングについて

スタートやマーク回航、フィニッシュなどそれぞれのシーンで最適の位置取りを要求されるメディアボート・ドライバー。各艇種ごとのレースコース、レース展開に精通しつつ、さらに撮影知識も必要な仕事だ。ドライバーたちは、事前にバルクヘッドマガジンの平井淳一編集長からポジショニングのレクチャーを受けて五輪に臨んだ。下図は、その代表例である。

レースコースを避けつつ、スタートラインよりも風上側。予測されるクローズホールド・ラインよりも風上に出ることは厳禁だ 

 

オーソドックスなのは、レイラインの延長線上。選手の顔を撮影でき、なおかつベア・アウェイのダイナミックなシーンを押さえることができる

Photo:カメラマンが乗るボート/Written press:ライターが乗るボート/OBS:オリンピック・ブロードキャティング・サービス/5G Project:ドローン撮影など/RHB:ライツ・ホルダー・ブロードキャスターズ/Jury:審判艇 /Measurer:計測艇 /Spectator:観覧艇 

 

 

カメラマンたちとのコミュニケーション

技術や知識だけではなく、やはり人と人の対話が一番大切。安全第一を胸に、コミュニケーションに重きを置いた。 

セーラーで現在ジャーナリストのマリア・ムリーナと意気投合した畠山知己さん。最も要求の多いカメラマンのひとりだ(笑) 

 

 

日本のメディアも、もちろん搭乗。右から『Kazi』誌でも活躍する海洋写真家の矢部洋一さん、共同通信社の福原健三郎さん、バルクヘッドマガジンの平井淳一編集長、そしてドライバーの石山雄大さん 

 

 

日本を代表するセーリングフォトグラファーのひとり、添畑 薫さん。「今回のメディアボート・ドライバーは、はっきりいって世界最高だ! よくこれだけのメンバーを集めたな。ファンタスティック!」と絶賛 

 

 

ラテンのノリでカメラマンから人気があった伊藝徳雄さん(手前左)。元アメリカズカップ・セーラーだけに、すべてを任せることができると評判を呼んだ 

 

 

photo by Yoichi Yabe

スロープに集合したメディアボート・ドライバーチーム。一部から「ガラが悪い」と愛をこめて揶揄された(笑)。ACセーラーに、元オリンピアン、セーリング関連業者の面々、46人(これに、舵社スタッフ12人も日替わり参加)。確かにこのメンバー、連れだって歩いているとなかなか迫力があるよね 

 

 

ドライバーたちはインカムで連絡を取り合い、互いのポジショニングを会話。事故のないように、かつ公平に撮影できるよう対応した 

 

 

メダルレースのフィニッシュ後は、最も騒然とする瞬間。各国のカメラマンは、メダルを取った自国セーラーの瞬間を捉えるため殺気立つ。陸上班は、マーク回航ごとにメダル獲得国予測をドライバーに伝え、混乱をできる限り回避。さらには選手のダイブもあり! 

 

 

通称「青水」。毎日の喉を潤した思い出の清涼飲料。かなり甘い 

 

 

photo by Yoichi Yabe

ともに仕事をしたフォトマネジャーのスサンヌ・ホエックさんがドライバーたちにお礼が言いたいと、集合。ハートを手で表し、ドライバーたちの心のこもった仕事に、あたたかい賛辞をいただいた 


 

大団円を迎えた最終日

果てしなく長く、そして信じられないくらい一瞬で過ぎ去った11日間。最後のメダルレースを終えて、メディアボートが一斉に江の島ヨットハーバーに戻ってくる。そのとき、連日全員とつながったインカムに、それぞれのドライバーから「おつかれさま!」の声が次々と聞こえた。  

このインカムはドライバーだけでなくレース運営にも直通なため「くだらない私語に使うな」と、特にメディアボート・ドライバーに注意があった(笑)。でも、おつかれ! の声は止まらない。すると突然「波の~♪ 谷間に~♪ 命の花が~♪」と、激烈に渋い歌声がインカムに響いた。ドライバーのひとり、元ニッチャレセーラーの松原 仁さんだ。鳥羽一郎の名曲「兄弟船」。松原さんのカラオケの十八番。「仁さん! また怒られるよ!」「続きを歌って!」。次々とおこるツッコミ。  

最高のセーラーたち、最高のドライバーたちと過ごした最高の11日間。コロナ禍が明けたら打ち上げでは、「兄弟船」を合唱かな。  

カメラマンの私が、カメラを手にすることなく過ごした11日間は、これまで以上に心に残るオリンピックであったかもしれない。(山岸重彦 談) 

 

 

東京2020が終わり、リーダーの山岸にビールかけ、ならぬ「いろはすかけ」。この人なくしてこの業務は完遂できなかった。ありがとう! また次回もよろしく(60年後?笑) 

 

(文=Kazi編集部 写真=舵社)

 

※本記事は月刊『Kazi』2021年11月号に掲載。バックナンバーおよび電子版をぜひ

※『Kazi』11月号誌面でドライバーリストに誤りがありました。訂正したものを再掲載しお詫び申し上げます 

 

 

舵社が製作したメディアボートドライバーの公式ポロ 

 

 

山岸重彦/Shigehiko Yamagishi (Kazi)

東京2020セーリング競技、メディアボート・ドライバー業務統括。本業は、舵社 写真部所属のカメラマン。プロダイバー、ライフセーバー。趣味は筋トレ、好きな飲み物は牛乳 

 


あわせて読みたい!

●東京五輪セーリング競技/関連記事一覧

●市野直毅の470軽風特化クリニック|①タッキング

●SailGP第6戦、豪勝利/女性クルーリスト紹介!

 


関連タグ

ヨットレース

ヨットレース の記事をもっと読む