復活した「もう一つのAC」、22年ぶり開催のアドミラルズカップとは?|AC日記12月号

2026.01.03

世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ(America’s Cup。以下、AC)」の最新情報を、プロセーラーの西村一広さんがお届けする本誌連載「西村一広の新・アメリカズカップ日記」。
今回は「もう一つのAC」こと、「アドミラルズカップ」について解説いただきます。
かつて世界中のキールボートセーラーを熱狂させ、2025年に22年ぶりに復活開催した伝説の国際レガッタの魅力とは?(編集部)

※本記事は月刊『Kazi』2025年12月号に掲載されたものです。

◆タイトル写真
photo by Rick Tomlinson / RORC|今年復活したアドミラルズカップ(Admiral’s Cup)、50フィートクラスのスタート。左から2艇目、セールナンバーMON42は優勝したモナコヨットクラブIRC50フィート〈ジョルト3〉。32年前に日本チームメンバーだったエド・ベアードがタクティシャンを務めた

 

アドミラルズカップとは

この原稿の締め切り日に、今後のアメリカズカップ(以下、AC)の持続性のある大会運営方法について、2027年に開催されるAC挑戦予定の全チームと合意が得られたという一報が届いた。

しかし、この先のAC戦が2年ごとに行われるらしいこと以外は全容が見えない。

そのため今月は、この夏英国カウズで22年ぶりに復活した「もう一つのAC」こと、アドミラルズカップ(Admiral’sCup)を話題にして、本家ACに関連させながら、日本のキールボートセーラーの皆さんにエールを送りたいと思う。

 


1993年アドミラルズカップ、最終レースのファストネットレースのスタートシーン。セールナンバーJPN3553は日本代表艇の1隻、鈴木重行オーナーの45フィートのIOR艇〈スウィング〉で、エド・ベアードがタクティシャンとして乗った
photo by Sharon Green | Ultimate Sailing


1993年日本チームでアドミラルズカップ出場の後、1995年でNZチームのコーチとしてAC初勝利、2000年アメリカズカップ(AC)でニューヨーク・ヨットクラブ挑戦艇の艇長として辛酸をなめたあと、2007年にはヘルムスマンとして自らの手でACを獲得(写真)、そして今年はアドミラルズカップでも頂点に立ったエド・ベアード
photo by Kecko, via Wikimedia Commons (CC BY 2.0)

 

世界中の海にあった国際外洋レガッタ

かつて、と言っても、それほど昔ではない1980年代から2000年代初頭のこと。

地球の海のあちこちで、フルクルーによる国際外洋シリーズレースが隔年で、あるいは毎年開催されていた。

それらを日本近海から順に列挙すると、チャイナシーレース(東シナ海。香港マニラ・レースがメインイベント)、パンナムクリッパーカップ/ケンウッドカップ(ハワイ沖の太平洋。ハワイ州一周レースがメインイベント)、サザンクロスカップ(タスマン海。シドニー〜ホバートヨットレースがメインイベント)、エアニュージーランドレガッタ(南太平洋。NZオークランドがベース)、SORC(米国・フロリダ半島沖。マイアミがベース)、キーウエストレガッタ(メキシコ湾。キーウエストがベース)、サルディニアカップ(地中海。サルディニア島がベース)などである。

これらのレガッタは、オフショアレース2本と複数回のブイ回りレースをセットにして2週間ほどの日程で開催された。

そのほとんどが各国3艇の選抜チームによる国対抗戦で、艇ごとの成績も出るが、3艇の総合得点で競う国対抗成績のほうに重きが置かれていた。

今の時代になって考えると、決して少なくない数の日本人オーナー艇がそれらの国際外洋レガッタに遠征し、日本人外洋ヨット乗りたちが外国勢を相手にブイ回りと長距離コースでの、総合的なセーリング技術を競い合った。

ぼくは幸運なことに、これら全てのレガッタに、クルーとして、スキッパーとして、複数回出場することができた。

しかしこれら華やかな国際的な外洋レースは、今ではほとんど地球上から姿を消してしまった。

 

総本山であるアドミラルズカップ

隔年で奇数年の夏に開催されるアドミラルズカップ(英国ソレント海峡/アイリッシュ海。ファストネットレースがメインイベント)は、上記の外洋シリーズレースの総本山とも捉えられていたキールボートレガッタで、1957年に第1回大会が開催された。

アドミラルズカップには、名うてのACセーラーや世界一周レースの常連セーラーたちもこぞって出場した。

ディンギーを卒業して外洋艇に乗るレーシングセーラーにとって、アドミラルズカップのクルーに選ばれることは、ACへの道にもつながっていく大きな目標でもあった。

そのアドミラルズカップに、日本は1977年、79年、89年、93年の計4回、代表チームを送り込んだ。ぼくは1993年の大会に、日本艇〈チャンポサ〉(ライケル/ピュー50)のヘッドセールトリマーとして参加した。

スキッパーは米国のジョン・コーリアス。五輪メダリストでもあるジョンは1987年の第26回ACでニューヨークヨットクラブ(以下、NYYC)挑戦艇のスキッパーも務めた、米国を代表するトップセーラーだった。

日本人クルーとして故 南波誠さんのほかに、ピチピチに若かったニッポンチャレンジのクルーたちもグラインダーとして乗り組んだ。

ジョンは、陸では穏やかで優しいけれど、レース中は(当然ながら)とても厳しいスキッパーで、アイルランド沖のファストネット・ロックを朝方回航してスピネーカーを揚げ、そのトリムに入ったら、その後陽が暮れ夜になって風が変わってスピネーカーを降ろすまでずっと、トリムを交代することを許されず(コーリアスもステアリングし続けた)、何回かあった食事は、ホットドッグを米国人クルーの一人が横に立って口に押し込んでくれた(でも彼はトリムを替わってくれなかった)ことが、自分的にアドミラルズカップの一番の勉強と経験と喜びと思い出になった。

3艇の日本チームの内、45フィート艇には、ILCA(当時はレーザー級)とJ/24世界チャンピオンだった米国人セーラー、エド・ベアードが乗っていた。

エドはその後1995年の第29回ACではニュージーランドチームのコーチとしてACに勝利し、2000年の第30回ACではNYYC艇のスキッパーの座を勝ち取り、2007年の第32回ACではスイス艇のヘルムスマンとしてAC勝利を果たすことになるセーラーだ。

アドミラルズカップはその後、チーム艇構成を三つのワンデザインクラスに固定したことが大きな原因となって、急速にオーナー層からの支持を失い、2003年を最後に開催休止に追い込まれた。それから20年以上がたち、日本ではそんなレガッタが存在したことすら知らない外洋ヨット乗りが多くを占めるようになった。

 


1993年アドミラルズカップ日本代表艇IOR50フィート〈チャンポサ〉(ライケル/ピュー50)の練習中のデッキ上で、艇長のジョン・コーリアス(中央)、ニッポンチャレンジの南波誠さん(右)と一緒に(本誌2001年7月号)。日本の外洋レース艇が元気で、当たり前のように国際レースに遠征を繰り返していた頃

 

アドミラルズカップ再び

そのアドミラルズカップが、この夏、22年ぶりに復活した。しかも、12カ国から15チーム(英国は3チームを、ドイツは2チームを連立)がエントリーするという人気ぶり。

このレガッタの主催者であるロイヤルオーシャンレーシングクラブ(以下、RORC)の月刊機関誌『Seahorse』は、熱い特集ページを4カ月にわたって組んだ。

主催者の思いと参加セーラーたちの高い満足が、それらの記事から伝わってくる。

復活したアドミラルズカップは、国対抗の外洋シリーズレースという形はそのままに、1チームの隻数を3艇から2艇に減らし、さらに、かつてワンデザインの採用でオーナー連にそっぽを向かれた過ちを正して、参加艇資格をレースに熱いオーナーたちが昔も今も大好きなワンオフ設計艇、もしくはプロダクション艇へと回帰させた。

それらの艇の修正時間を決めるレーティングルールは、RORCが発案し運営しているIRCに統一すると定め、そのIRCのTCCによってチーム艇2艇の大きさ枠を規定、それは全長がおおむね50フィートと40フィートの軽量艇になった。

 


総合優勝はモナコ・ヨットクラブ。サイズの大きな艇で争うAC1クラスでは〈ジョルト3〉(ボティン52)が優勝(編集部)
photos by James Tomlinson / RORC


同チームはAC2クラスでも〈ジョルト6〉(カーキーク40)が2位。スキッパーは同チーム代表のピエール・カシラギ(編集部)
photo by Paul Wyeth / RORC


これが優勝杯のアドミラルズカップ。復活1回目はモナコヨットクラブのキャプテン、ピエール・カシラギ(モナコ公国の公女の子息)の手に。日本から再びこのカップ獲得を目指す外洋レースチームが出てくることを願う
photo by Arthur Daniel / RORC

 

目指せアドミ!

現在のACはフォイリング艇で闘う時代に入り、同じくフォイリング艇を使うSailGPとともに、スキフやモス級などで才能を発揮してきたセーラーたちが中心になって活躍するセーリング競技になった。

セーリングの未来形を標榜するACやSailGPにとって、それはそれで理想的ではあるけれど、そこではフィジカルなクルーワークで行うヘッドセールチェンジや、メインセールの素早いリーフなどの技が必要とされなくなった。

キールボートセーラーとACとの接点はとても希薄になった。

しかしアドミラルズカップは違う。

各国のキールボートセーラーたちが、世界一の座を競って、キールボートの操帆技術も駆使して繰り広げる国際外洋ヨットレースだ。

日本の若いキールボートセーラーたちが新生アドミラルズカップを目指せるような環境が、日本でも再び整う日が来ることを、心から願う。

そう言えば、復活を果たした記念すべき今年のアドミラルズカップで優勝したモナコチームの1艇には、1993年の日本チームの一員だったエド・ベアードも乗っていた。

次回アドミラルズカップは2027年、英国の夏にカウズで開幕する。

 

(文=西村一広)

 


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西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。

 


 

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