初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』8月号に掲載された内容を再集録するものだ。(編集部)
※メインカット写真|photo by Ugo Fonolla / フォイルに塗装を施すイネオス・ブリタニア(詳細は下記に)
初冬のニュージーランドから離れてスペインのバルセロナへと移動を開始した防衛者エミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)の後を追うように、米国フロリダ州のペンサコーラのアメリカンマジック(米国ニューヨーク・ヨットクラブ)、マヨルカ島のイネオス・ブリタニア(英国ロイヤル・ヨット・スコードロン)、サルディニア島のルナロッサ・プラダ・ピレリ(イタリア・シシリア・セーリングクラブ)が、6月中旬、続々とそれぞれの秘密基地を離れて、バルセロナに活動拠点を移し始めた。
それまでそれぞれの秘密基地では、それぞれのLEQ12やAC40クラスを使った濃密なテストとトレーニングが続けられていたが、来年秋の第37回アメリカズカップ(以下、AC)に投入するそれぞれのAC75クラスの船体設計は5月初旬には終えていなければならなかったはずで、それ以降の4週間ほどは、各チームともフォイルアームやフォイルウイング、ダブルスキンのメインセールやマストローテーションのコントロール機構のテストに集中するようになった様子が見て取れた。
Ineos Britannia’s Foil Wing
英国イネオス・ブリタニアのLEQ12の右舷側に装備された新型フォイルウイング。前に突き出た細管はピトー管だと言われている。一般にピトー管は圧力差を検出して流体の速度を計測するために使われる。それが一体どういう役割を果たすのかは謎。フォイル中央部の上下に出ている突起も謎。複雑にカーブしたフォイルに沿って複雑にカーブしたフラップが、どのようなメカニズムでフォイル本体に沿って滑らかに動くのかも謎
photo by Ugo Fonolla / America’s Cup
イネオス・ブリタニアのさらなる謎。そのフォイルウイングのテスト中、右舷側に装備したそのフォイルウイングの上面に何かの塗料のようなものを塗った。塗ってすぐに走り始めて、タッキングしてポートタックになってそのフォイルを使って数百m走ってテストする。タッキングして止まり、そのフォイルを上げる。当然塗料様のものは剥がれている。再びそれを塗って、走る。剥がれる。それを繰り返すこと3回。何のテストなのか? 謎である
photo by Ugo Fonolla / America’s Cup
Alinghi Red Bull Racing's Foil Wing
左側のフォイルウイングは、アリンギ・レッドブルレーシングのLEQ12の左舷側に装備されてテストされているもの。外側のウイングの前縁が、ザトウクジラの胸鰭前縁を思わせるような形で波打っている。どんな効用があるのか? 謎である
photo by Alex Carabi / America’s Cup
この写真では、アリンギ・レッドブルレーシングのザトウクジラの胸鰭のようなウイングは、LEQ12の右舷側に取り付けられて、ギザギザ部はフォイル内側になっている。内側にするのと外側にするのと、どんな違いが出てくるのか? 謎である
photo by Alex Carabi / America’s Cup
かつて、1983年に米国ニューポートで開催された第25回ACで、オーストラリアの12mクラス〈オーストラリアII〉が、キールにウイングを付けるという、それまでのヨットの常識では考えられなかった画期的なアイデアによってACにおける歴史的勝利を収めて以来、旅客機の主翼の先端にはウイングレットが付けられるようになるわ、ごく一般的なクルージングヨットのキールにまでウイングが生えるようになるわの大騒ぎになった。
そしてそのAC大会の次、同じく12mクラスが使われ、豪州フリーマントルで1987年に開催された第26回ACは、「キール戦争」と呼ばれるほどいろんな形のキールとウイングが競い合うACになった。
キールを持たないモノハル初のフォイリングヨット、AC75クラスを使って初めて開催された前回の第36回ACに続いて、同じくAC75クラス(ルール細部には変更あり)を使う第37回ACのレース艇開発競争は、「フォイルウイング戦争」の様相を呈している。
今回の第37回ACに参加する複数の有力なチームには地上の流体力学の雄、フォーミュラワン・レーシングの技術関係者が深く関わっている。
英国のイネオス・ブリタニアは、メルセデスAMG F1と完全に一体化した組織で、艇の開発はメルセデスAMG F1が率いている。スイスのアリンギ・レッドブルレーシングには、ホンダのエンジンを搭載するフォーミュラワンチーム、レッドブル・レーシングから多くの設計陣が参入している。
イタリアのルナロッサ・プラダ・ピレリの開発チームにも、ピレリ絡みでフォーミュラワン関係者が出向していることは想像に難くない。
防衛者ETNZの開発チームのリーダーも、長きに渡ってマクラーレンのフォーミュラワン設計開発の中枢にいた人物だ。これらの、トップレーシングカー開発チームの理論とアイデアが注ぎ込まれるヨットが、なんとなくフォーミュラカーを連想させるカタチのヨットになってくるのはある意味当然のことかもしれない。
そして、フォイルウイングも、レーシングカーでの経験と技術が生かされる重要なエレメントで、そこに各チームが注力するから、これまでヨットの世界では見たこともないような形のフォイルウイングが、続々と登場してきている。
19世紀以来、200年近い歴史を通してセーリングヨットの技術進化を牽引してきたACだが、第37回ACでも、その役割を十分に果たしてくれそうな気配なのである。
Emirates Team New Zealand's Foil Wing
エミレーツ・チームニュージーランドの2隻のAC40のうちの1隻の右舷側には、外と内で非対称のカーブを持つフォイルウイングが取り付けられている。このシェイプがどのような効用を発揮するのか? それも謎。今月のこのページの数々の謎が解けたら、直ちに報告致します。左舷側は、AC40クラスの純正フォイルウイング
photo by Adam Mustill / America's Cup
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2023年8月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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