
セーラー鈴木光司さんへ贈る言葉
2026年5月8日(金)、鈴木光司さんが天国への航海へと旅立たれた。享年68。世界で活躍するホラー作家として知られるが、舵オンライン編集部としては、海をこよなく愛するセーラー、ボーターとしての顔が思い浮かぶ。
月刊『Kazi』誌では2004年2月号から2011年12月号までエッセイ「快楽海生活」を連載。また、鈴木さんは1996年にヤマハCR27セダンを購入しボートオーナーに。以降、ボートはヤマハSC36、ヨットはジャノー32.2、ジャノー37などを乗り継いだ。月刊『Kazi』誌2025年8月号特集「世界の海、冒険の果て」のご執筆も記憶に新しい。
追悼にあたり、多くの海外チャーターをサポートしたオーシャンドリームの堅田 寛さん、そしてその航程に同行したカメラマンの寺田昌弘さん、「快楽海生活」編集担当で当時の月刊『Kazi』誌編集長、森下嘉樹さんにお別れの言葉をいただいた。

「快楽セーリングを手伝えたことは生涯の宝です」
文=堅田 寛(オーシャンドリーム代表)
未だ衝撃が消えません。まさか私が舵オンラインに追悼の言葉を書くことになろうとは。
次の海外の相談を2月に再開し、4月4日まで「ランカウイには這ってでも行く」「考えるだけで盛り上がる」と強い意思のメッセージをいただき、さすが数度のコロナ感染から生還された光司さんだ、と思っていた矢先に、断腸の思いです。
それまで日本で何回も長距離航海をされ、近隣諸国にまで足を延ばした後、2009年にイタリアで天啓に打たれて海外セーリングにターゲットを定められました。月刊『Kazi』誌の森下嘉樹元編集長から相談があり、翌2010年夏には初めての海外セーリングをギリシャのイオニア海で実現、最後の海外となる2025年の英国領バージン諸島まで、実に15回も楽園の海を楽しまれましたね。私はこれだけ多くの海外チャーターを経験されたセーラーを寡聞にして知りません。
初めての海外航海記、『Kazi』誌2010年10月号を読むと、光司さんがどれだけ至福の時間を過ごされ、この経験が海外の楽園巡りを始める嚆矢(こうし)となったかを人気作家ならではのワクワクする筆で書かれていますね。その後の15年(コロナを除くと実質10年)で、なんと15回も海外を楽しまれました。
光司さんは海外に行く前から自らを快楽セーラーと標榜していましたね。海外でセーリングするようになってからその考えはさらに強まり、太平洋横断を断念したご自身を安楽セーラーと位置づけました。しかし、光司さんは仰るような快楽・安楽セーラーではありませんでした。
初めてのギリシャから帰って間もなく、今後海外でベアボートチャーターのスキッパーとして必要だからと、世界で最も評価の高いRYA(英国王立ヨット協会)のヨットスクールのテキスト一式が欲しいとご連絡をいただき、海外2回目のプーケットでRYA公認スクールに参加、デイスキッパーの資格を取得されました。余分なことは一切書かず、用件だけ簡潔に告げるメール同様、目的のためには何がベストかを冷徹に判断し、ストレートに実行に移す様子をみて、自称快楽セーラーの光司さんは、実は正統派セーラーとしての矜持を持たれたヨット乗りであると、この時強く感じました。それから十数回にわたり世界中の楽園の海で、「野郎ども」(光司さんは、愛情を込めてクルーたちをこう呼んでいましたね)や愛するご家族と快楽セーリングを楽しむお手伝いができたことは、私の生涯の宝です。
『Kazi』誌2025年8月号の記事の結びに「あと何回こんな楽しい経験を重ねられるだろうか」を読んだ時、まさかこの記事が『Kazi』誌での絶筆になろうとは夢想だにしませんでした。ただ、人生最期の時、きっと記事で仰っていた「最高の人生だった」と思われたのだろうと確信しています。
合掌。

「ありがとうございます、キャプテン」
文=寺田昌弘(共に世界を回ったカメラマン)
2002年秋、私の先輩が(鈴木)光司さんと同じジャノーの少し大きな43フィート艇を購入し、それを見に来てくれました。翌日に「てらちゃん、バイク乗るんだって。今度ヨット仲間とツーリングに行くから一緒に行こう」と誘っていただいてから24年。ヨットのことがよく分かっていない私を八丈島や沖縄へ連れ出してくれ、さらにプーケットに始まりイタリア、スペインの地中海、タヒチ、セーシェル、ニューカレドニア、カリブ海と冒険の扉を指し示し、誘ってくれました。
ヨットで旅しながら話してくれた光司さんの生き方、哲学は、今をどう生き、どこを目指すのか、航海と人生を照らし合わせながら気づかせてくれました。
今年はクロアチアに行ってアドリア海でセーリングしようと言っていたのに、光司さんはたった独りで永遠の航海に旅立ってしまいました。途方に暮れ、寂しさは増すばかりですが、楽しいことが大好きだった光司さんに「ありがとうございます、キャプテン」と、クルーのひとりとして感謝を伝えたいです。


「コージさん、あの原稿もらってないんですけど!?」
文=森下嘉樹(月刊『Kazi』誌 元編集長)
鈴木光司さん(以下、コージさん)は、私の人生に大きな影響を与えてくれた海仲間である。
豪放磊落(らいらく)、成し遂げたい目標や夢は確実にかなえていくバイタリティーを持つ、敬愛すべき人であった。
Kazi編集者であった私とコージさんの出会いは、20年以上前になる。『リング』シリーズで知られる大人気作家が無類の海好き、フネ好きという噂を聞き、一度お話を伺おうとアポをとったのだった。東京・品川のホテルに現れたコージさんは、緊張ぎみの私に対して、びっくりするぐらいフレンドリーに接してくださった。海やフネの話で大いに盛り上がり、直後に計画されていた伊豆諸島クルージングにも招待していただいた。そのクルージングで一気に打ち解け、横浜に帰港するころには「コージさん」「モリシタ」と呼び合う仲になり、月刊『Kazi』誌への執筆も快く引き受けてくださった。
その後もコージさんとは、担当編集者としてというより、海仲間として遊ぶ機会が増えていった。
ある年、鳥羽レースに出るためにコージさんの愛艇〈MIKA 2〉(ジャノー36)を2人で回航していた夜、話の流れで「コージさんの作品のなかでは『楽園』が一番好きだな〜」と言ったことがある。コージさんは「そーか、そーか!」と、執筆裏話を楽しそうに話してくれた。コージさんのデビュー作となる『楽園』のルーツは、小学生時代の日記なのだそうだ。担任の先生から日記を書けと言われたコージ少年は、日記は続けられそうにないけれど、空想物語なら毎日書き続けられるのではないかとひらめいた。それは、少年が小さなフネに乗って大海原を航海していくという冒険小説だった。毎日楽しく書き続けたが、インド洋にさしかかったあたりで物語は崩壊し、オチもなく消滅したそうだ。
やがて小説家を目指したとき、あの日記小説にケリをつけるために書き上げたのが『楽園』なのだという。
太古の大陸から始まる物語は、時空を超え、地球規模のスケールで人と人との絆を紡いだ作品として結実し、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した。ファンタジーなのかSFなのか、あるいは冒険小説なのかミステリーなのか分からないが、この物語こそ、海と冒険を愛したコージさんの原点であり真髄だと私は思っている。
『楽園』の裏話が頭から離れなかった私は、その後、コージさんとともにギリシャ・イオニア海でのクルージングを企画した。南太平洋やカリブ海も候補に挙がったが、イオニア海を選んだのは、そこが「ギリシャ神話の海」とも言われ、歴史的にも地理的にもとても興味深いところであったからだ。
期待通りにイオニア海にドハマりしたコージさんに、『Kazi』誌の巻頭特集とは別に「いつかイオニア海がらみのスケールのでかい小説を書いてくださいよ」と念押ししたのだが、コージさんの興味はイオニア海に留まらず、毎年のように海外クルージングに出かけていくようになったのは想定外だった。
結局、イオニア海を舞台にした長編小説は読めずにいるが、コージさんは約束を守る男だから心配はしていない。『楽園』のように、いつか、世界のどこかで、コージさんゆかりの誰かが書き上げた最高のイオニア海物語を、私ゆかりの誰かが夢中で読んでいる——そんな素敵なオチが、きっとあるはずだから。



鈴木光司/Koji Suzuki
1957年、静岡県浜松市生まれ。1990年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。以降、『リング』『らせん』『ループ』など数々のベストセラーを生み出し、海外でも高い評価を得る日本を代表する作家のひとり。これまでに3艇のモータークルーザーと3艇のセーリングクルーザーを乗り継いだセーラーで、年に2回の海外チャーターはライフワークに。2026年3月『ユビキタス』(KADOKAWA刊)を上梓。2026年5月8日(金)、永眠。享年68。
(編纂=中村剛司/舵オンライン 写真=矢部洋一、寺田昌弘)
本記事は月刊『Kazi』2026年8月号に掲載された記事を再編纂したもの。バックナンバーおよび、電子版はこちらから





















