JOSA(日本オーシャンセーラー協会)のオーシャンセーラー、北田 浩さん。セーリングをはじめたのは、青森県下北半島の大湊大平(おおみなとおおだいら)マリーナ。クルージングボートで始まったセーリングライフは、いつしか国内のロングレースに移行し、ついには単独大西洋横断レースを次々と完走する境地へ昇華される。日本よりもフランスのロリアンでの知名度が高いという北田さんの日本国内のセーリングライフ。それは、青森と北海道の函館を行き来する、豊潤で贅沢な時間が流れる暮らし。前後編でお送りする。


オーシャンレーサーの横顔
オーシャンセーラー、北田 浩さん。ソロセーラー、北田 浩さん。北田さんの話をするとき、どんな肩書で紹介したらよいものか。 JOSA(日本オーシャンセーラー協会)の、サバイバルトレーニングの、JOSA OCEAN BOOT CAMPの……。フランスのロリアンを拠点として、大西洋単独横断レース、ザ・トランザット(2016年)、ルート・デュ・ラムデスティナシオン・グアドループ2018(日本人初参戦、初完走)などで活躍するオーシャンレーサーの横顔が一番か。そんな北田さんのセーリングライフについて触れてみたい。
意外なことに、北田さんのヨットとの出合いは、乗り物としてではない。青森県下北半島に新築した自宅の中庭に“オブジェとして”ヨットを置こうと出物を探した。ディーラーの一言。「北田さん、ヨットは置物ではなくて乗る物ですよ」
そうか、とベネトウ・オセアニス35を買い、大湊大平マリーナへ置いた。お嬢さんたちを乗せてシャンパンでパーティー……という乗り方は一瞬で飽き、レースに出た。しかし、勝てない。次にX-37、そしてX-41とレース艇へステップアップ。沖縄−東海ヨットレース、青函レースとフィールドは外洋へと広がったある日、転機がやってきた。2013年、トランスパックへの参戦である。万全で臨んだ太平洋横断レースだったが、ディビジョン7で僅差の2位。熾烈なトップ争いは“2,225マイルのマッチレース”と当時の海外のニュースで報道された。
「沖縄-東海やトランスパックといったオーシャンレースは、きちんと準備して練習して、チームを作り上げ挑むという点では面白かったですね。ですが、レーティングレースが肌に合わなかった……」




クラス40への傾倒、大西洋の憧憬
レーティングルールでは、あえて重くして遅くしたヨットが勝つといったことも起こりえる。北田さんには、これがどうにも腑に落ちない。ここから北田さんはクラス40によるワンデザインレースにのめり込む。2016年のザ・トランザット参戦から、2017年にはノルマンディ・チャネルレース、レ・サーブル=オルタ、オルタ=レ・サーブル、ファストネットレース、2018年にノルマンディ・チャネルレース、ルート・デュ・ラム、2019年にファストネットレース(日本人初、フォイリングIMOCA60による参戦)、トランザット・ジャックバーブルと駆け抜けた。そして、共に走ったクラス40を日本に運んだ。
「フランスで活動して思ったこと。それは日本の外洋シーンは世界から大きく遅れている、ということでした。このままではいけない。オーシャンレースへ挑む若者を育てないといけない。JOSAの立ち上げも、サバイバルトレーニングの導入も、そしてJOSA OCEAN BOOT CAMPも全て同じ初期衝動から行っています」
2023年の小笠原レースでは、クラス40〈貴帆〉を若き女性セーラー2人に預け、自身は手出し一切なしの監督役として同乗した。JOSA OCEAN BOOTCAMPでは、神奈川県の浦賀から青森、北海道へと多くの若者たちにオーシャンセーリングの技術と魅力を伝えた。
「もともと、南北海道外洋帆走協会のメンバーだったので、JOSA OCEAN BOOT CAMPで何度も函館に訪れるうちに拠点を北海道にするのもいいなと思い始めて。函館山を少し上った高台の別荘を購入して、『風の家』としました。緑の島の係留場所まで行きは3分、帰りは登り坂だから10分。函館港を眺めながら、これからのセーリングを考える日々です」
(次回②-2へ続く)






北田 浩さん Hiroshi Kitada
青森県出身、61歳。国内外のオーシャンレースを経て、ザ・トランザット2016、ルート・デュ・ラム2018を完走したソロセーラー。JOSA代表として、外洋レースを目指す日本の若者を支援する。
(文=中村剛司/舵オンライン編集部 写真=中村剛司、北田 浩)
本記事は月刊『Kazi』2026年6月号からの抜粋





















