世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップでエミレーツ・チームニュージーランドを3連勝に導いたスキッパー、ピーター・バーリングのチーム離脱。世界中に衝撃与えたこのニュースの理由は、未だにバーリングとチームの双方から語られていません。今回はプロセーラーの西村一広さんに、この衝撃の放出劇の裏側を考察していただきます(編集部)
※本記事は月刊『Kazi』2025年7月号(6/5発売)に掲載されたものです。
◆タイトル写真
photo by Ricardo Pinto / America's Cup|ETNZのスキッパー、バーリング(写真左)とCEOグラント・ドールトンの間で何が起きたのだろうか(編集部)
直近のアメリカズカップ(以下、AC)で3連勝し、AC史上最強チームと評価されているエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)。その3連勝をヘルムスマン、スキッパーとしてけん引し、誰もが認めるチームの核としてNZ国内のファンたちにも愛されてきたピーター・バーリングが、ETNZから離脱したというニュースは衝撃的だった。
その公式発表の後になっても、その理由について語ることを双方とも避けている。しかし最近になってその理由について推測ができそうな、ある内部情報が漏洩した。その内部情報とは、ETNZが次回ACへの挑戦を非公式に表明している複数の既存AC関係チームに送った第38回ACのプロトコル(大会実施要綱)の草案だ。
そのプロトコルは、防衛者ETNZと挑戦者代表のベン・エインズリー率いる英国のアテナ・レーシングの二者によって作成が進められ、完成版がこの6月に発表される予定だが、その草案中の次回ACに出場する選手に定められる要件が、今回のバーリング離脱の理由になったのではないか? というのだ。
ETNZのCEOグラント・ドールトン。以前のバーカーからバーリングへのスキッパー交代劇は成功したが、今回の主将離脱が次回防衛戦に影響するのは必至だ
photo by Ricardo Pinto / America's Cup
その要件では、第37回ACに続いて第38回ACに出場する選手は、第37回ACで所属したチームでのみ出場でき、それ以外のチームへの移籍を認めないと定められているという。それが本当なら、それはほとんど、「ピーター・バーリングのETNZからの移籍を禁止する」という規則と同義のようなもので、それゆえ、その要件は“バーリング・ルール”と呼ばれるようになっているらしい。
2003年に開催された第31回ACで、防衛者だったNZチームに起きたことを思い出してみる。第29回大会でのAC獲得、第30回AC防衛戦の圧勝の後、スキッパーだったラッセル・クーツ以下の主力選手たちがスイスのエルネスト・ベルタレッリという大金持ちに誘われてスイスチームに移籍した。残されたNZチームの若手たちはまだ経験が浅く、そのためにメディアからは、第31回ACはNZ一軍選手(スイス)対NZ二軍選手(NZ)だと揶揄され、残念なことに実際のレースもそのような展開になって、NZは完膚なきまでに叩き潰され、スイスが圧倒的な戦績でNZからカップを奪い取ったのだった。
2003年の第31回AC。元NZ一軍選手がそろうスイスチーム(写真手前)が、圧倒的な強さで元NZ二軍のNZチーム(写真後ろ)からカップを奪い取った
photo by Th.Martinez / Alinghi Team
次回第38回大会で再びそのようなことが起こりかねない情報を察知したグラント・ドールトン以下のETNZ首脳陣が、それを未然に防ぎ、その二の舞を踏まないためにバーリング・ルールを作ろうとしているのだとすれば、なんとなく筋道が通るウワサのようにも思えてくる。
しかも、タイミングのいいことに、というか、タイミングが悪いことに、というか、バーリングのチーム離脱のニュースと相前後して、第38回AC挑戦の準備を進めていたスイス・チームが第38回ACへの挑戦から撤退することを唐突に発表したのだ。そのスイスチームのオーナーは、第31回大会でNZからカップを奪ったチームオーナーと同一人物である。そのオーナーが二匹目のドジョウを狙って水面下で進めていたバーリング獲得計画が、バーリング・ルールによって頓挫したのが、AC挑戦撤退の理由ではないのか? という憶測が出てくるのも当然のことだろう。そこからさらに、プロトコルの草案を外部にリークしたのもそのスイス人オーナーだろうという疑惑も、当然出てくることになる。
ただ、NZの権威あるセーリングメディアの一つ、『Sail-World NZ』のリチャード・グラドウェル記者は、このバーリング・ルールはETNZが提案したものではないとほのめかす記事を書いている。だとしたら、挑戦者代表からの提案ということになるが・・・。
(文=西村一広)
後編へ続きます!
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西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J/24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。