初めてアメリカズカップを現場で観て以来約30年、その間、ニッポンチャレンジのセーリングチームに選抜されるなどしながら、日本のアメリカズカップ挑戦の意義を考察し続けるプロセーラー西村一広氏による、アメリカズカップ考を不定期連載で掲載する。新時代のアメリカズカップ情報を、できるだけ正確に、技術的側面も踏まえて、分かりやすく解説していただく。本稿は月刊『Kazi』2022年6月号に掲載された内容を再集録するものだ。(舵オンライン編集部)
※メインカット写真|photo by Emirates Team New Zealand
防衛国以外での開催
第37回アメリカズカップ(以下、AC)が、2024年秋にスペイン・カタルーニャ州のバルセロナで開催されることが決定した。
ACの歴史の中で、ACが防衛国以外で開催された例は、これまで3度ある。スペインのバレンシアで開催された第32回AC(2007年)と第33回AC(2010年)、そして英領バミューダで開催された第35回AC(2017年)だ。第32回と第33回ACの防衛国はスイスだった。スイスには海がない。しかし、ACの掟である「贈与証書」には「ACは海で行うべし」と定められている。それで、仕方なく、ACの歴史始まって以来初めて、防衛国スイスではなくスペインのバレンシアで開催されることになった。
第35回ACの防衛国は米国だった。この米国防衛チームは、チームオーナーは米国人だったものの、母体のヨットクラブは、そのチームオーナーの資金投入で運営が成り立つようになったお飾り的クラブ、チームの総指揮を取るのはニュージーランド人、セーリングチームや開発チームの主要ポジションにいるのも、米国以外の国の人間ばかり、という星条旗にとても縁の薄い防衛チームだった。そういう、米国への愛国心に乏しいチームだったせいなのか、外部の人間にはよく分からない流れで、第35回ACはいつの間にか北大西洋に浮かぶタックスヘイブン英国領バミューダ諸島で開催されることになった。
その第35回ACで、その星条旗印の外国人部隊に圧勝したのが、NZのロイヤル・ニュージーランド・ヨットスコードロン代表として挑戦したエミレーツ・チームニュージーランド(以下、ETNZ)だった。そのETNZの防衛戦になった第36回ACは当然のごとく、世界に名高いNZの帆の街、シティ・オブ・セール、オークランドで開催された。新型コロナが大暴れしている時期に重なってしまい、NZ政府が一般の外国人に対して鎖国政策を敷いている状況の中での開催になったが、大会は成功を収め、ETNZも見事に防衛を果たした。
しかし、それに続く防衛戦となる第37回ACの開催にあたって、ETNZのボス、グラント・ドールトンは、母国NZとオークランド市にAC開催権料を要求する。NZ政府とオークランド市は、コロナ禍で経済活動が制限されている中で全額拠出は不可能だと拒否。それでドールトンはAC開催権を海外諸国に売り出し、今回、バルセロナ市との合意に達したというわけである。
photo by Yoichi Yabe
挑戦者ETNZがスイス防衛チームに惜敗した2007年の第32回ACは、史上初めて防衛国ではなく、スペインのバレンシアで開催された
photo by Jose Hordan AFP 33rd America's cup
防衛国スイスが偽の挑戦者代表ヨットクラブをでっち上げたことに端を発して、スイスと米国挑戦者との一騎打ちになった第33回ACもバレンシアで開催された
photo by Tsuyoshi Nakamura (Kazi)
2017年の第35回ACは、遠い国のACファンにはよく理解できない理由で、英国領バミューダのハミルトンで開催されることになった
開催地売却への強い違和感
オークランドのヨット関係の友人の話では、この開催地権売却という流れに強い違和感や憤りを持っているNZのACファンが多いという。その急先鋒の一人はサー・マイケル・フェイ。スイスに住むNZ人富豪であるフェイ氏は、1987年に豪州フリーマントルで開催された第26回ACにチームボス兼単独出資者としてNZ初のAC挑戦チームを送り込み、続く第27回ACに全長120ftの挑戦艇〈KZ-1〉で米国サンディエゴでの一騎討ちに挑み、その後に続く第28回ACでもNZ挑戦チームを資金の面でバックアップした経歴を持つ、言わばNZのAC創成期の中心人物だ。そのフェイ氏は、ラジオのインタビューで、「長い間NZ国民に支えられてきたNZ代表チームが、ボスのドールトンの独裁的運営によって、それらのファンを裏切る間違った行動をしている」と語った。
NZ大好き人間ではあるものの、NZ国民ほどNZ代表チームに貢献していないワタクシではあるが、ACを知らない日本の人たちにACというヨットレースについて説明する機会を比較的多くいただいている者として、このままではACの魅力が一つ減っていってしまうなあ、と密かに思う。「ACの試合って、必ずチャンピオンチームの国で開催されることになってるんですよ。それがサッカーとかラグビーとかの世界選手権とACが最も違う点の一つなんですよ!」、「へえー、そうなんですか!」って会話でAC話題が盛り上がっていくのがちょっとうれしかったのに、それがもう楽しめなくなってしまう。こうして徐々にACは、たくさんあるスポーツの世界選手権の一つでしかないイベントに自ら変わっていってしまうのかなあ。もしそうなったら少し残念だなあ。
とはいえ、ETNZとACに関してはそんなネガティブな話題ばかりではなく、トヨタ製の水素燃料電池駆動システムを持つETNZのフォイリングテンダー〈チェイス・ゼロ〉が進水して、見事なフォイリングとスピードを披露したというニュースや、月刊『Kazi』5月号で次の号(この号、6月号ですが)で書きますと約束したETNZのドリーム・セーリングチームについてなど、ポジティブな話題もあるのですが、またもや今月のこのページからはみ出てしまいました。すみませんが、「待て次号!」ということで・・・。
photo by Emirates Team New Zealand
スペイン、カタルーニャ州の州都バルセロナ。つい最近は、ここのクラブのサッカー選手の日本人侮蔑言動で話題になったが、それはさておき、サグラダファミリアなどでも名高い、 ヨーロッパ有数の観光地ではある。観光資源としての第37回AC誘致は、バルセロナ市にとって費用対効果抜群なのだろう
photo by Emirates Team New Zealand
アメリカズカップを前にしてカタルーニャ州政府の商工大臣(写真左)とバルセロナ港湾長(右)と握手を交わすETNZのドールトン。本来なら、カップ防衛ヨットクラブの代表者がこの場に居るべき立場のように思えるが・・・。
(文=西村一広)
※本記事は月刊『Kazi』2022年6月号に掲載されたものです。バックナンバーおよび電子版をぜひ
西村一広
Kazu Nishimura
小笠原レース優勝。トランスパック外国艇部門優勝。シドニー~ホバート総合3位。ジャパンカップ優勝。マッチレース全日本優勝。J /24全日本マッチレース優勝。110ftトリマランによる太平洋横断スピード記録樹立。第28回、第30回アメリカズカップ挑戦キャンペーン。ポリネシア伝統型セーリングカヌー〈ホクレア〉によるインド洋横断など、多彩なセーリング歴を持つプロセーラー。コンパスコース代表取締役。一般社団法人うみすばる理事長。日本セーリング連盟アメリカズカップ委員会委員。マークセットボットジャパン代表。
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