自設計によるデッキ長43フィートの木造カッター〈インテグリティ〉による、北西航路横断の冒険。 氷に覆われたリゾルート(Resolute)を抜けた一行は、荒天のなかピール海峡(Peel Sound)へ入ることを決めた。その先には、ジョン・フランクリン率いる北極海探検隊、129人が失踪したとされる陰鬱(いんうつ)なる「飢餓湾」が待っているのだ(編集部)。
◆メインカット
photo by Will Stirling | 氷に閉ざされた北西航路。セントロッシュ湾を抜け、最狭部のシンプソン海峡へ。フランクリン探検隊が遭難したといわれる、陰鬱(いんうつ)な飢餓湾(Starvation Cove)へと向かった
【短期集中連載】北西航路を走破した43フィート木造ヨット〈インテグリティ〉の大航海
①北西航路の歴史
②砕氷帆船の建造
③アイスランドでの5年間
④冒険の準備
⑤ルネンバーグからグリーンランドへ
⑥最初の夜間航海
⑦グリーンランドの野生動物たち
⑧悪魔の親指で過ごした1週間
⑨129人が失踪した湾
〈Integrity〉諸元
デッキ長:43フィート
水線長:37フィート
喫水:7.6フィート
メインセール:675平方フィート
第3レグのおおまかな航程
Transit of the North West Passage(北西航路横断)
第3レグ
我々は、最初は氷に、続いては嵐に阻まれて、リゾルート(Resolute)近くで12日間も身動きが取れない状態に置かれてしまった。逃げ場がないというのはまさにこのことだ。海況が悪く、5日間も船内に閉じ込められ続けたのだ。幸いだったのは、事前に警告を受けており、風と氷の両方を考慮し、停泊地を慎重に選択していたことだ。
次の低気圧が接近してくるまでの36時間の間、天候は少し収まり、氷も風によってようやく四方に吹き散らされたので、我々は時化(しけ)もあるだろうと覚悟した上で、ピール海峡(Peel Sound)に入っていくことに合意した。
ピール海峡の通過は、とても重要な意味を持っている。それは氷で塞がれることのある水路だからだ。水路が開けるのが遅くなればなるほど、我々のアラスカ到着は遅くなり、ベーリング海で秋のトラブルに遭遇する可能性も高くなってしまう。
ピール海峡を下り、セントロッシュ湾(St Roch Basin)を横断して、レイ海峡(Rae Strait)を抜け、私たちは「世界で最も完璧な小さな天然の港」であるヨア・ヘイブン(Gjoa Haven)に着いた。ここはロアール・アムンセンが1903年に発見し、2年間越冬した場所だ。ヨア・ヘイブンを出航してから、我々はシンプソン海峡(Simpson Strait)の通過を試みた。そこは北西航路の中で最も狭い水路であり、フランクリン遠征隊(連載⑧または⑨)が最後を迎えた場所ともいわれ、「スターベーション・コウブ(Starvation Cove/飢餓湾)」という陰鬱な名前がつけられている。
夕闇の訪れとともに、寒さと、更なる闇が周囲に満ちた。しかし、美しきオーロラがその両方を埋め合わせてくれた。〈インテグリティ〉は横帆を展開して、ドルフィン・ユニオン海峡(Dolphin andUnion Strait)を快調に通過していった。ここは北米大陸と北極諸島の間の最後の狭い水路であり、ビューフォート海(Beaufort Sea)に通じていた。荒れ模様だった天候は再び悪化の兆しを見せたため、我々は一目散に穏やかな湾に逃げ込んだ。そこはあらゆる方向の風から我々を守ってくれる美しい入り江だった。幸運にもその後の6日間、入り江の外には、北西から、続いて南東からの強風が吹き荒れた。
スクエアセールで快走する〈インテグリティ〉。飢餓湾=シンプソン海峡を抜けて、ビューフォート海へ
ロアール・エンゲルブレクト・ グラブニング・アムンセン
Roald Engelbregt Gravning Amundsen
極地探検家。1911年12月14日、人類史上初めて南極点へ到達。1926年には飛行船による北極点到達に成功、両極点への到達を達成
カナダからアメリカへ
ディンギーで上陸できるような日和には、我々は魚を捕まえに7マイル離れた川まで歩いた。魚は捕まえられなかったが、それでも見渡す限り茶色の砂利が広がる低地の砂漠のような、人里離れた陸地を歩き回るのは気持ちが良かった。視覚からの情報が減ると、微妙な変化に敏感になるのか、大地に当たる光の変化にすら魅了されてしまった。
この時点で、季節外れの強風が吹いたために、我々は第3レグの距離の3分の1を、配分した時間の3分の2で走破していた。北極圏の旅人にとって忍耐は不可欠な資質と言われる。まだ1,500マイルの距離が残っていた。我々は忙しく仕事をこなしながら、前進する機会をうかがっていた。
ようやく嵐がおさまったのを幸いに、私たちは北米本土北西端から40マイルに位置するバロー岬(Point Barrow)に向け、750マイルの航海に出発した。好天の時間を最大限に活用するためとはいえ、慌ただしい旅だ。
急ぐべきこの期間に、いったん停止する機会が2回だけあった。
その一つは、「アイスロード」(凍結した自然水面、河川や湖の上に作られる期間限定の道路)の北端にあるトゥクトユクヤク(Tuktoyaktuk)で、夏の間、集落にサービスを提供するタグボートとバージの列を見たとき。
そしてもう一つは、ハーシェル島(Herschel Island)で、イヌビアク(Inuviak)のレンジャーたちが夏を終えて片付けをしているところに遭遇したときだ。彼らはとても親切で、彼らの小屋はとても暖かかった。ビューフォート海は浅いが、私たちは水深4mの海で陸地に近づくことには慣れていた。気をつけなければならないのは、カナダの海図はフィート表示、米国の海図はファゾム表示、デジタル海図はメートル表示になっていることだ! 磁北の経度を越えて西に進むにつれ、コンパスは役立つようになっていく。磁気偏差は東に変化し、わずか9度に減少した。
カナダを離れると、私たちは米国の領海に入った。悪天候から逃れるために、私たちはカクトビク(Kaktovik)の集落に立ち寄ろうとしたが、近づいてみると水深が浅すぎた。風は強く、波が砕けるあたりに砂州の存在が観て取れた。針路を変え、セールを調整している間、2頭のホッキョクグマが我々のそばで水遊びに興じていた。
(次回へ続く)
シンプソン海峡の航行、満天の星のなか寒く暗い夜が始まった
〈インテグリティ〉が越冬しているノームは、金鉱の町だ
ウィル・スターリング氏のHP
Stirling and Son
(文・写真=ウィル・スターリング 翻訳=矢部洋一)
text & photos by Will Stirling, translation by Yoichi Yabe
※関連記事は月刊『Kazi』2025年4月号に掲載。バックナンバーおよび電子版をぜひ