30年前の『KAZI』の記事「漂流実験」公開!番外編

2023.05.02

前編、後編でお送りした、『Kazi』1993年11月号記事を再掲載した『「漂流実験」から30年(前編)』『「漂流実験」から30年(後編)』。 

その記事内には、〈アン〉の事故に関する考察もあった。先の記事を深く読み込んでいただくためにも、この記事を再掲載いたします(舵オンライン編集部)。 

 


 

『KAZI』 1993年11月号記事再掲載

〈アン〉の場合

1990年のケンウッド・カップ、モロカイレースで座礁、沈没した〈アン〉の事故を覚えているだろうか。不幸にしてクルーの1人が亡くなってしまったが、一歩間違えばさらに大きな被害があっても不思識はない状況であった。この事故で13人のクルーの命を救ったのはライフラフトの力が大きかったようだ。 

事故の全容に関しては余りにもテーマが大きいので、ここではライフラフトに絡んだ部分を中心に当時のクルーの1人である渡辺さんに聞いた。 

なにしろ、あれからまる3年(1993年当時)経っている。多少の記憶のずれもあるかもしれないが、その辺りは御容赦願いたい。 

 

 

〈アン〉チーム

 

 

* * * 

 

座礁直後、キャビンを覗くと、すでに浸水が激しかった。床板の隙間から水が吹き出るようであった。彼女を含めて4人がキャビンに入り、ラフトを取りに行く。ラフト2個はコンパニオンウェイの下、エンジンボックスの両脇にショックコードで固定してあった。 

キャビンの明かりは点いていたが、浸水は進んでいてショックコードの結び目は水の中。手元は暗い。ショックコードといっても、きつく締めてあったので、ほとんど紐の状態。解くことはできない。ブームバングに取り付けてあったナイフを誰かが持って来て、これでショックコードを切った。ラフトは水に浮いて流れるようにハッチのほうへ。運び上げる、などの動作に、あまり重さは感じなかったと思う、という。 

この間、浮かびそうな物をどんどんデッキに出す。二つめのラフトをデッキに出すころには浸水は腰まであった。エンジンボックスもブカブカと揺れ動いている。 

彼女がデッキに出ると、ラフトはコクピットの一番後ろに運んであった。この時点で、船は沈むと思ったという。直後、セールが返った途端に。横倒しの状態で、しかし、まだ浮いている。何人かはそのまま海に落ち、スキッパーら何人かはガンネルの上に乗っていた。 

ラフトは海に浮いていた。ふくらませようと、紐を引くが、エンドがどこだか分からない。引けば引くほどラインが出てきてしまう。片手で船、片手でラフトをつかみ引つ張るが、体が安定しないので、なかなか開かない。水面上にあるブームを利用して力を入れるなど、いろいろ工夫するが、どうしても開かない。 

船は波に叩かれているし、船につかまっていても揺れに合わせて人間も一緒に浮き沈みしてしまう。もがいていたら、たまたま後ろに繋いであったラフトが開いた。しかし、逆さまであった。天幕が水中でモリモリ膨らんでいく。開いた途端にガンネル上にいたスキッパーがラフトの上に落ちてきた。 

同時に船はバウから水没。後ろのベンチレーターから空気が抜ける。ラフトを反転させようとしたができなかった。クルーは全員デッキ側に落ち、開いたラフトに数珠繋ぎにつかまる。この時点でクルーの1人が行方不明になってしまうようだが、このあたりは今回はテーマが違うので触れないでおく。 

すでに全員かなり疲れており、泣いている者もいた。たまたまスキッパー1人がラフトの上にいた、ということが良い結果をもたらしたようで、彼女の指示で、経験が浅く、体力的にも弱い者を2人、ラフトの上に上げた。 

まだ船はスターンを上に向けて浮いており、波で上下するラダーが鼻先にあって怖かったというが、舫いを切ると岸まで流されてしまうと判断し、船とラフトは繋いだまま。岸は断崖絶壁である。確かに危険だ。もう一つのラフトはまだ開かない。 

そうこうしているうちに、ほかのレース参加艇が異常に気づき救助にやってくる。ライフリングを投げてもらう。ラフトを取り出した時に使ったナイフは鞘に入っていなかったので危険という判断か、すでに捨ててしまっていたが、誰かが別のナイフを持っていたので、これでラフトの舫い綱を切る。 

船に引き上げられ、助かったと思った瞬間、2番目のラフトが突然開いた。最後の最後にそれも正立状態で開いたところが皮肉である。 

 

*  *  *

 

〈アン〉のケースでは、ライフラフトによって多くのクルーが離れる事なくまとまっていられたということが、事態をかなり好転させたようだ。この場合ラフトは浮器のような使われ方をされたことになる。 

座礁/浸水からラフトをデッキに引き出すまでの行動に、混乱はみられない。これは搭載してあったラフトが、小型軽量の物(ドイツのBALLON-FABRIK製)であったということが重要な要素であったかも知れない。

また、〈アン〉チームは女性だけとはいえ、いや初の女性だけのチームであったからこそ、この時までにかなり多くの時間を安全訓練に割いてきたという。長いトレーニングのピークがこのケンウッド・カップであっただけに、「13人もが助かった」といえるのかも知れない。 

[再掲載記事ここまで]


 

(文=高槻和宏、写真=舵社 協力=東洋ゴム工業、三洋商事、第3管区海上保安本部 ※協力は当時のもの)

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