【水路を航く】#69/古来より人々の足として、そして今では貴重な体験の場としてあり続ける ~愛知県豊橋市・豊川 牛川の渡し~

人力の渡船〈ちぎり丸〉。船頭さんが長い竹ザオを器用に操り進んでいく。フネは川の上に張ったワイヤにつながれており、流れを利用しながら進むこともできる

愛知県の東部を流れる豊川の源流は長野・山梨・静岡の3県にまたがる赤石山脈。
通称・奥三河という名でも知られる地域の山々から湧き出た水はこの川を経て三河湾へ注ぐ。
東海道の一部として昔から人の行き来も多く、豊川を渡るために渡船が使われていた。
豊橋市の牛川町と大村町をつなぐ渡船「牛川の渡し」は、一説には平安時代末期から始まったという話もある。
距離にして約70メートルをおよそ5分で渡るという短い船旅だが、周辺には橋が架かっていないため、歩いて対岸まで行こうとすると2時間ほどかかる。
地域住民の交通手段として活用されるほか、全国的にも珍しい手漕ぎの渡し船を目当てにした観光客も多く訪れる。
普段は一日30人程度、多い日で100人ほどの乗客を、竹ザオ一本で対岸へと運ぶ。
あせらず気負わず、しかし着実に前へと進む渡し船ののどかな景色は、見る者の心もなごませる。

26年稼動していた2代目のフネが令和5年(2023年)6月の大雨で下流に流され壊れてしまったため、翌年3月に3代目〈ちぎり丸〉が就航した。3人の船頭さんが曜日交替でフネに乗る
豊川は面白いように蛇行を繰り返す一級河川。曲がった場所は外側の流れが速くなるため、調整するために水中にくいを打つ。内側は砂がたまり浅くなる。満潮時はくいも浅瀬も見えなくなるので、航行には注意が必要
竹ザオは地元産の真竹。毎年10月に刈り取り2月まで乾燥させる。川底につく部分は金具を装着しているがどうしても割れるため、1年に10本以上交換する
豊川のほとりに立つ吉田城。江戸時代には東海道の宿場や豊川の舟運、伊勢へ向かう船旅の港として城下町が大いに栄えた。復興された鉄櫓(くろがねやぐら)がかつての威容を誇り、下には安土桃山時代に築かれた石垣が現存する
日本三大稲荷の一つ、豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)の大本殿は昭和12年(1937年)に再建された。商売繁盛や家内安全の願懸けのため多くの人が訪れる
豊川稲荷の境内にある霊狐塚。キツネは稲荷神の使いとされており、祈願成就のお礼として奉納された像が並ぶ神秘的な空間
豊川の最下流、三河湾へ注ぐ河口にかかる豊川橋を日没直前にドローンで撮影。きれいな夕焼けが空と陸の間に広がり、オレンジ色の光の帯が水面にもできていた

◆日本各地にある海峡や運河などを巡る、月刊『BoatCLUB』の人気連載「水路を航く」。 舵オンラインでは、過去に誌面で取り上げた水路の中から、印象的だったいくつかの水路を再掲する。
◆第68回は、『BoatCLUB』2024年10月号に掲載された、温暖な気候と美しい景色で観光地としても人気の高い小豆島の風景をお届けする。
(※本記事の取材は2024年の7月に実施しました。掲載内容は取材当時のものとなりますのでご注意ください)

(文・写真=舵社/山岸重彦)